執筆者
株式会社オフィシア法律顧問
原 文之
日本では、パワーハラスメントを含むハラスメントの防止について使用者に一定の措置を義務付ける法律改正が本年5月に国会を通過し公布されましたが、ILOの年次総会では6月21日に「仕事の世界における暴力とハラスメントの根絶に関する国際協定(協定190号)」及び同タイトルの勧告(勧告206号が)が投票に付され、賛成439票、反対7票、棄権30票という圧倒的多数により採択され協定として成立しました。
ILOにおける投票では加盟国の政府代表、使用者代表、労働者代表がそれぞれ1票を持つため、投票総数の合計は加盟国数(187か国)を上回ることになります。日本の政府代表と労働者代表は協定案に賛成しましたが、使用者代表(日本経団連)は棄権しました。
今回のオフィシア・ニュースレターでは、この協定を取り上げることとします。
1. 協定の日本における意義
この協定は、2つ以上の加盟国が批准*1した日から12か月が経過した時に条約として発効することになっています。批准を終えた加盟国はILO事務局長に批准国として登録し、その登録から12か月を経過したときに条約の規定が当該国に対し適用されることになっています。しかし、この条約は自動的に国内に適用されるものではなく国内法を通じて適用されます。日本の場合、既に国内法でカバーされている規定もありますが、そうでない部分もあるので、批准するためには国内法の改正手続きが必要になります。日本政府代表は、批准するかどうかについて、「条約と国内法との整合性などの観点から、さらに検討すべき課題がある」として、態度を明らかにしておりません。
日本経団連等の財界はハラスメント行為そのものが違法とされると、被害者による損害賠償請求が認容されやすくなり、訴訟が増加することに懸念を有しているとされ、批准に時間がかかることも考えられます。一方、先の国会では、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案」(この中には、セクハラに関連する男女雇用機会均等法、パワハラに関連する労働施策総合推進法の改正も含まれています。)の審議過程において衆議院、参議院の双方において附帯決議がなされており、その附帯決議には、ハラスメント行為そのものを禁止する規定の法制化の必要性について検討すること、ILO総会において仕事の世界における暴力とハラスメントに関する条約が採択されるよう支持するとともに、条約成立後は批准に向けて検討を行うこと、等の項目が含まれています。
今回の協定が圧倒的多数で採択されたことからも、ここに含まれる各条項はハラスメント根絶のための措置のグローバル・スタンダードとなるものと予想されます。企業人としてはその内容を十分に理解し、準備することが求められます。
*1: 条約の締結国の権限のある国家機関による確認。日本の場合、国会の承認により内閣が行う。
2. 協定の主な内容
以下にこの協定の主な内容を解説します。下記は協定の条文を網羅するものではなく、国内のルールとの相違点を中心に取り上げるものです。なお、太字及び下線は筆者によるものです。
(1) 定義
仕事の世界における「暴力及びハラスメント」とは、受忍することができない行動、慣行又はそのおそれで、それが一回限り行われ又は繰り返し行われることにより物理的、心理的、性的又は経済的危害を意図し、又はそのような危害が生じ若しくは生じることが危惧されるものを意味し、性別に基づく暴力及びハラスメントを含むものとされています。
「性別に基づく暴力及びハラスメント」とは、肉体的・社会的性別に起因して個人に向けられる暴力及びハラスメント又は特定の肉体的・社会的性別を有する個人に不相応に影響を及ぼす暴力及びハラスメントを意味し、セクシュアル・ハラスメントを含むものとされています。
(2) 適用範囲
この協定は、仕事の世界の個人のすべてに適用されます。これには加盟国の法律及び慣行により被用者と定義される者はもちろん、インターン、見習い、解雇された被用者、ボランティア、求職者、使用者の権限、職務及び責任を行使する個人等、契約上の立場の如何にかかわらず仕事をする人が含まれます。
また、この協定は私企業に限らず、公共部門を含むすべての部門に適用されます。
この協定が対象とするのは、仕事の過程、仕事に関連して、又は仕事に派生して仕事の世界において生起する暴力及びハラスメントです。これには職場はもちろん、次の場所等を含みます。
- 休憩場所、食事場所等
- 出張中
- 仕事に関連したSNS等のコミュニケーション
- 寮・社宅など雇用者が提供する住居
- 通勤途中
(3) 基本原則
- 締結国は、労使双方の代表と協議のうえ、第三者が関与するケースを含む仕事の世界における暴力とハラスメントを根絶するための包括的、統一的、かつ、ジェンダーに配慮したアプローチを採用することとされています。このアプローチには、例えば次の項目を含むものとされています。
- 暴力とハラスメントを法律で禁止すること。
- 暴力とハラスメントを防止し、これと戦うための包括的な政策を採用すること。
- 法令等の執行と監視のメカニズムを採用し、(すでに採用されている場合には)これを強化すること。
- 制裁規定を設けること。
- 雇用と職業の分野で平等で非差別的な権利を保障する法令及び政策を採用することが求められています。法令及び政策は女性労働者及び仕事の世界における暴力及びハラスメントの影響を特に蒙りやすい脆弱な集団*2に属する人たちを含むものでなければならないこととされています。
- 締約国は、適切で効果的な被害救済、安全で公平な通報と紛争解決メカニズムを提供することが求められています。
- 締約国は、ドメスティック・バイオレンスの影響を認識し、ドメスティック・バイロレンスが仕事の世界に及ぼす影響を軽減するための合理的に実行可能な方策を取らなければならないこととされています。
*2: たとえば、若年労働者、少数民族、移民労働者、LGBT労働者等が考えられます。
上記の項目には、5月に公布された「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律」の施行にあわせて示される予定の厚生労働者の指針に含まれることが見込まれるものもありますが、ハラスメント行為そのものの法律による禁止など法改正を待たなければ実現できないものもあり、今後の政府の対応が注目されるところです。
以上
執筆者 原 文之 (はら ふみゆき) 東京大学法学部卒、ロンドン・ビジネススクール卒 (MBA)、東京大学法科大学院卒 (法務博士)。BNPパリバ銀行ならびBNPパリバ証券会社にて商品開発部(デリバティブ)部長、コンプライアンス部部長。その後、UBS証券マネージングディレクター、コンプライアンス部部長。 国際銀行協会証券分科会理事、株式会社保険振替機構取締役、日本証券業協会自主規制企画委員会委員を歴任。 資格 弁護士 |